はじめに 先ず数字から入りたい。日本で貿易を行っている企業の数は、11、604社である。 ほとんどが比較的小規模の貿易業者であるが、そのうち上位の9社のシェアが非常に高 く、この9社で日本の輸出の37%、輸入の65%をハンドルしている(1991)。 一般的にその9社、その中でも上位6社が、SOGO SHOSHAと呼ばれている。SOGO SHOSHA はそのまま英語として通用する。"ogoとはgeneral、shoshaとは Trading Company を 意味する。よって SOGO SHOSHA とは"General Trading Company"と言うことになる。 なぜわざわざ「総合」という言葉を付け加えるかと言うと、扱い品目が多岐にわたると 言う意味と、総合商社が提供する機能(サービス)にいろいろあると言う二つの意味か ら「総合」という形容詞が付けられている。 9社の売上高の合計は年間119兆円(約一兆ドル)にもなる。ちなみに日本のGNPは 年間4兆ドル程度である。外国では(メーカーの直接貿易、貿易業者の専門化の関係で) 貿易業者の規模がこのように大きくなることはない。 舶ト国では総合商社が日本経済の躍進の秘密であるとの見方があるとともに、逆 に総合商社と日本企業の密接な系列関係が日本市場の閉鎖性の原因と考える人もいる。 前者はともかく後の方は、間違った議論である。しかし、よきにつけ悪きにつけ、総合 商社は必要以上に怪物的な存在と見なされている嫌いがある。 実態はそんなに不思議な企業ではないが、活動の幅が広く、多くの機能があるので、外 部から解りにくいことがあるのかも知れない。 人間と同じく企業も過去の延長線上にあり、歴史的に見ればよりよく理解できる。 「時間は過ぎ去るのではなく積み重なる」。総合商社の数多くの機能も、その一つ 一つが、それが形成された時代の特別の事情に対応する形で出来上がってきたものであ る。よって今日、多様な総合商社の役割をその時々の時代背景に対応させて振り返るこ とにしたい。 日本経済を取り巻く環境は現時点においても変わりつつある。それに応じて 総合商社の機能と役割もそれに応じて変りつつある。その辺を、今日のわたしのメッセー ジとしてご理解いただければと思う。 時代区分だが、1)最初に19世紀にまでちょっと遡って総合商社の創業期、 2)戦後の復興期を経て55年以降の20年間にわたる日本経済の高度成長期、3)7 3年のオイルショック以降85年までの日本経済の低成長期、4)現在すなわち198 5年のプラザ合意以降と、四つの時代に分けて説明したい。 時代区分(1):総合商社の創業期 ク商社の創業期からはじめたい。どのような時代背景のもとに総合商社というものが産 まれてきたのかを見てみたい。総合商社の起源は江戸末期(19世紀の半ば)に遡る。 その当時、200年にわたる鎖国政策の後、日本は欧米列強により開港を強制された時 期であった。このとき中国貿易に従事していたジャーディン・マディソン商会など主に イギリスの専門商社が日本に支店を開き、日本の貿易を取り仕切った。この時代、日本 の輸出入の9割以上をこれら外国商社が取り仕切った。 <外国商館は日本人商人が貿易手続きに疎いのに乗じ、相当あこぎなこと(乱暴なこと) をしたと伝えられている。また欧米諸国と締結した通商条約も極めて不平等なものであ り、日本は自国の関税の自主決定権すらなく、自国の産業の保護も出来ない状態であっ た。(以後20世紀に入るまで数十年間にわたり、通商面での[半植民地」状態が続 く。) $貿易を外国商社から奪回することをめざし、伝統的な商業金融資本(財閥)が中心と なり、19世紀の後半にかけていくつかの貿易商社が設立されて行く。これが現在の総 合商社の源流である。 当時発展途上国であった日本が欧米諸国と対等に貿易を行うためには強力な専門的貿易 機関の発達が不可欠であったわけである。 このような貿易商社のなかで有名であったものには三井物産がある。設立は1876 年。政府から官営の三池炭坑の払い下げを受け、同炭鉱の石炭の輸出を一手に引受ける ことから貿易をはじめて行く。 また紡績会社を設立し、紡績機械の輸入、綿花の買い付け、製品の輸出を担当する。さ らに流通施設や輸送手段への投資など新しい事業分野への投資を積極的に行ない、自分 を中心とする企業グループをつくっていった。 1910年には、世界に40の海外店を配置し、従業員1700名、日本の輸出入の2 割以上を取り扱う日本最大の貿易商社に成長した。 他方、三菱商事の設立はかなり遅れて1918年である。概ね三井物産と同じよう な発展過程をたどるが、重化学工業の分野での取り引きを重点的に伸ばして行ったのが 特徴である。 ちなみに三井、三菱とよく対比される住友財閥についてであるが、住友財閥自体は15 90年にまで遡るものの住友は一貫して産業資本としての性格が強く、住友での総合商 社の設立は三菱よりもっと遅れて第2次大戦後にまで持ち越されることになる。終戦後 の大陸の住友事業からの引き上げ者に職を与えるというせっぱ詰まった事情で商事会社 が設立される。 メ以上戦前の歴史を振り返ってみると戦前の総合商社の設立と発展は当時の日本の国家 的目標と密接な関係があったことが解る。 天然資源に乏しく、多くの人口を抱えた貧しい日本が、国民の生活水準を改善しようと 思えば、日本を工業化するしかなかった。工業をやるには資源を輸入する必要がある。 資源はただではないので外貨がいる。外貨はは輸出で稼ぐ以外はない。ということで日 本にとって貿易は死活問題であった。大規模な総合商社はそのような日本経済のニーズ にそって育ってきたものであるといえる。 時代区分(2):総合商社の形成期 2明治以降、経済発展を続けてきた日本も太平洋戦争という悲惨な戦争を引き起こすこ とになる。戦争が終り、財閥系総合商社も占領軍の命令で一旦は解散させられるが50 年代には再び合同する。戦中・戦後の混乱期を経て壊滅状態となった日本経済も195 5年当りには戦前の水準に戻り、再び日本経済はダイナミックな発展を開始する。 嘯サの後の20年間を日本経済の高度成長期と呼ばれるが、年平均9.8%の高い成 長が実現し工業国へと発展してゆく。世界的に見ても注目すべき成長スピードであった。 その原動力は技術革新であり、大衆消費社会の実現であった。その象徴として19 64年の東京オリンピック、東海道新幹線の開通があり。その到達点として68年のGN P世界第二位への躍進がある。 この時代は同時に経済構造の激動期でもあった。総合商社は極めて積極的な事業展 開をおこない活動分野を飛躍的に拡大させた。 1)外国からの技術導入、2)資源開発、3)大衆消費社会への移行という三つのテー マにつき総合商社が果たした役割を見てみたい。 1)外国からの技術導入 この時期の高度成長の牽引役に輸入技術に基づく活発な設備投資がある。戦中戦後の 空白によって日本の技術水準の立ち後れはひどかった。55年以降になるとその技術水 準の落差を埋めるべく外国からの一流技術の導入が広い範囲でおこなわれ工場設備の新 設ラッシュが続いた。 具体例として: 鉄鋼業では:高炉の大型化、LD転炉の導入、ホットストリップミル新設など。エネルギー では:エネルギー革命と呼ばれる石炭エネルギーから石油エネルギーへの転換。石油化 学では、ナイロンなどの合成繊維、プラスティックの企業化の為の巨額の投資がなされ た。 この技術(機械設備)導入に関連し、商社は技術導入の仲介・斡旋役として活動す ることになった。多くの総合商社ではこの頃から技術移転業務の専門セクションを設置 し積極的に技術移転に対応した。また海外有力メーカーの対日販売総代理店として外国 企業の立場から設備、技術の対日売り込みに注力した。 血ツ人的な経験(具体例):デンマークの海底トンネル建設工法の導入で東京湾 の埋め立て現場に日参したこと。フランスの土木技術テルアルメ工法の導入。 商社が技術提携の斡旋をすることで、僅かな仲介手数料が稼げるが、本当 の目的は技術提携により安定的な資材の継続取り引きをアレンジ出来ることにある。こ れはワンショットではなく、何十年と続く。だから一生懸命やった。総合商社の「技術 移転機能」である。 2)資源開発 高度成長期になって日本経済は資源問題という新たな問題に直面する。戦後の 復興期には産業に必要な資源はコマーシャルベースで単純に輸入すればよかった。資源 については買い手市場であったし、日本の産業が必要とする輸入量も少なかったからで ある。 高度成長期となるとそれでは(従来の資源の輸入方法では)とても間に合わなくなっ た。必要量が急増し高度成長期は5年で2ー3倍のペースで資源の輸入量が増えた。ま た国際的に資源ナショナリズムが台頭する。 市場は一転して売り手市場化する。そこで資源の長期かつ安定的確保を図るた め、資源保有国の経済的利益を重視した開発輸入方式が登場する。 開発輸入方式には相手国に資源開発資金を融資し、その生産物で融資金の回収を 図る方式(融資輸入方式)と相手国に投資して自ら事業経営に参加する(開発参加方式) の二通りがある。 いずれにせよ数年の期間を要し、巨額の資金とリスクが付きまとっている。日本の製造 業は積極投資でただでさえ資金がタイトであり、そのため大きな資源開発プロジェクト には資金調達とリスクを分散する意味で企業グループ、ないし同業各社の複数の企業で 参加するケースが一般的になった。その際、総合商社はまとめ役として数多くの資源開 発プロジェクトに参加するようになる。これが総合商社の「オルガナイザー機能」と呼 ばれるものの始まりであった。(オーストラリアの鉄鉱石など) 3)大衆消費社会への移行 -高度成長のおかげで国民の消費生活は格段に向上した。それに伴って産業構造の 変化も生じた。第三次産業の就業構成比は1960年の38.2%から70年には46. 5%、75年には52%と半分以上を占めるまでになった。 経済の重点は素材生産に近い川上から最終消費者に近い川下に着実に移りつつあった。 しかし総合商社の売上高の構成はおおざっぱにいって50ー60%が生産財、2 5%が資本・建設財などの投資財、消費財は10%前後といわれており、商社の住み場 所はどちらかと言えば川上よりである。積極的に総合商社は流通の川上から川下へのイ ンテグレーション(垂直統合化)に意欲がもやされた。 具体例として、ブロイラー・インテグレーションがある。これは総合商社が日本に最 初に導入したシステムであるが、米国でブロイラーの優良品種を育て、孵化したひよこ を日本の契約農家に供給し育てさせる、餌は自社が輸入する配合資料を農家に供給し、 製品(鶏肉と卵)は自社の流通経路で消費者に販売するというシステムである。この分 野での総合商社のシェアは約4割といわれる。おしなべて割高な日本の食料品の中で鶏 肉と卵だけは値段が低位安定している。フライドチキンとオムレツを食べている限り食 費は東京の方がパリより安く済む。総合商社が自慢できる国民生活への貢献の一例であ る。 他にも商社がスーパーマーケットの経営に乗り出すとか、積極的な川下展開が見られた。 総合商社の「ディストリビューション・ネットワーク機能」と呼ぶことが出来る。 高度成長期は日本経済が急速に拡大した時代であった。それにあわせ、総合商社も活 動分野を拡大する政策をとり「総合化」を積極的に推進した。高度成長期で総合商社の 総合化は一応完成したといえる。その意味でこの時期は総合商社の形成時期であった。 時代区分(3)、石油危機以降の低成長時代 1973年の石油危機がもたらした変化はとりわけ大きかった。順調に成長していた 日本経済も1973年に大きな転機を迎える。 原油価格は73年、一挙に4倍に(11.65ドル)なり、さらに81年には、イラン・ イラク戦争で34ドルまで急騰する。 この石油ショック以降、世界経済は(インフレと景気の低迷が同時に進行する)スタグ フレーションに見舞われたが、エネルギーをほとんど中東に依存する日本経済への影響 はとりわけ大きかった。 日本経済は低成長時代へ突入する。(1960年代は年平均で10.7%の成長であっ たが、石油危機以降の10年間、1973ー83、年平均4.0%の成長率に低下した。 この時期の商社の役割を、1)原油ビジネス、2)プラント商談、3)三 国間貿易の三つに関して見ることにしたい。 原油ビジネスと商社 ?まず第一に、石油の確保自体が大問題となった。石油危機以降、世界的な原油 不足の情勢の中で原油供給源を失ったメージャーは日本に対して原油供給のカットとい う厳しい措置をとることになる。日本の石油業界はメージャー・ルートに替る新しい原 油輸入ルートとして産油国との直接取り引きに乗り出す。これをDD原油(Direct Deal Oil) という。 竄オかし民族系石油会社のほとんどは中東に拠点をもっておらず、この原油購入は総 合商社が行うことになる。DD原油は経済協力の見返りとして契約が成立する場合が多く、 経済協力に参加する総合商社が原油購入交渉を行う方が有利だったこともある。 わが国の原油輸入における商社シェアは1965年の10%から81年には38% にまで急増する(それに対し、同期間にメージャーシェアは62%から33%に激減し ている) プラント商談と商社 価格が急騰した石油輸入代金の支払いのために、日本は国際収支の悪化に悩むことに なる。輸入合計に占める鉱物性燃料:の比率も、それまでの1/4程度から一挙に半分 にまで急増する。日本はなんとしても産油国に対する輸出に傾斜しオイルマネーの還流 を図る必要も出てきた。 その解決策がプラント輸出であった。OPECは1974年だけで600億ドルとい うオイルマネーを手にいれるが、このお金を自国の工業化に注ぎ込んだ。日本の中東向 けプラント輸出は一挙に活発化する。 総合商社はこのプラント輸出において、その発端から完結にいたるまで幅広く機 能を発揮することになる。すなわち: 海外ネットワークを通じてのプラント入札情報をいち早く入手する 国際入札への参加企業をコーディネートする。場合によっては外国企業もふくめ た国際コンソーシアムを結成する。 ファイナンス、政府資金の利用を交渉する リスク分散のために輸出保険の手続きを行う。為替のリスクヘッジの手段を講ず る。カントリーリスクの評価を行う アメリカにはベクテル社のようなプラントを一括受注できる強力なエンジニアリ ング会社があるが、日本のエンジニアリング会社の多くは化学会社から分離独立したい わば技術者集団にすぎず、その補完的な役割を総合商社が果たすことになった訳である。 三国間貿易と商社 三国間貿易とは日本以外での取り引き、つまり外国で仕入れて日本以外の別の国で 売る貿易をさすが、70年代から急速に増えた。 9社の全取り引きに占める三国間貿易の割合は:65年:9.4%、70年:12.0 %、73年:16.1%、91年:25.8%。 何故増えたかと言うと: 石油危機以降、伝統的商品中心の総合商社の売り上げが伸び悩んだため、その活路を 外国間取り引きに求めたこと プラント輸出などの見返りに相手国の産品の引き取りを義務付ける取り引き(カウン ターパーチェス)が増加したことなど。 カウンター・パーチェスなどは非常に広い取り扱い商品と海外取引先をもつ総合商社な らではの機能であると言える もっとも品目は石油、穀物、油脂原料、綿花などの国際商品がほとんどであり、工業 製品の三国間貿易はあることはあるがまだまだ少ない。 しかし三国間貿易の増加は総合商社の国際化の象徴でもある。 時代区分(4)、プラザ合意から現在に至るまで 円高がもたらしたもの さてようやく現在に至った。1985年以降を現時点とするが日本経済はまた して大きな構造変化に直面している1985年以降の大幅な為替の切上がり(円高)で ある。背景には70年以降の日本産業のハイテク化の構造変化でエレクトロニックス関 連製品などの輸出が急増し、国際収支は構造的に黒字体質へ変化したこと、それに伴う 国際摩擦がある。1985年、多国間国際協調によって大幅円高誘導が決められ、円は 僅か半年の間に一ドル240円から150円へ切りあがった。 この為替の急激な変化は日本の貿易パターンをも変化させるものであった。明治以来 の日本の貿易パターンは加工貿易といって原材料を国外に求め、日本で加工し、製品を 輸出するというものであったが、そのパターンがなりたたなくなった。需要地に工場進 出し現地生産をするようになる。 そうなると、貿易品目も(輸出品目も)これまでの製品の輸出に替えて部品や中間財の 輸出に変化してくる。 中間材の貿易となれば同一企業内での貿易(企業内貿易)が主体になってくる。企業内 貿易となれば、貿易業者が介入する余地はなくなり、総合商社のビジネスがなくなると いう事態になる。 現に数字で見ても輸出売り上げが総合商社全体売り上げに占めるシェアは大きく低下し てきている。 輸出/売り上げ高シェア(9社):80年:20.2%、85年:18.8%、90年: 12.2% 総合商社の対応 この数字を見ると「総合商社=輸出」というステレオタイプを捨てなければならない事 態となっている。商社側の対応策としてはいろいろあろうが二つほど: :第一に海外での現地流通への介入を強めることである。日本企業の現地生産に伴って 材料や部品の効率的な調達の必要が生じているが、これらが現地企業によって満たされ るとは限らないので日本の総合商社が現地の流通を担当するケースが増えている。 鉄鋼の流通加工センター(コイルセンター)の海外進出がこの例である。コイルセンター とはユーザーの要求に応じて鉄板の切りそろえをして必要な数量を必要な時間に必要な サイズでジャストインタイムに納入する流通加工基地で、60年代に日本において総合 商社が開発したもの。この便利なサービスはアメリカには存在しなかったので日本企業 の現地進出にともない総合商社が現地に数多くの鋼材加工センターを建設することになっ た(最近はアメリカ人も真似をして同じものを作くりはじめた)。 また現地でのデイストリビューターやディーラーへの資本参加など、現地の倉庫業、運 輸業などの物流業への投資も増えている。これが一つの傾向である。 .第二に外国企業との提携関係の強化である。三菱商事のダイムラーベンツとの提 携、三井物産のマクドナルド・ダグラス社との関係、住友商事のフィアットとの関係な どである。また個別のビジネスにおいても、「組む相手は日本企業に拘らない」という 総合商社の姿勢が顕著になってきている。当社の例をみても次のような例がある。 インドネシア向け発電所 住友商事は91年米国のGE社と共同でインドネシアでガスタービン発電所の建設を受注。 建設資金2億ドルは日米の輸出入銀行の協調融資。日本の貿易保険を適用。 タイ向けエチレンプラント 同じく1992年、住友商事は米国のエンジニアリング会社ストーン・アンド・ウェブ スター社と韓国のエンジニアリング会社大林エンジニアリング社と組んで、タイのエチ レンプラントを受注。5億ドル。米国が基本設計、韓国が現地工事を行う。プラント用 機器は米国、韓国、日本から調達する。 ニカラグア向けの米国産肥料(日本政府の無償資金協力案件) 住友商事は90年に日本政府のニカラグアむけのグラント案件をベースに米国の肥料会 社アルカディア社の肥料9300噸をニカラグア政府に納入した。日本の経済協力案件 で外国企業に商売をもっていった例である。 要約すると総合商社の今後の戦略は、1)日本企業の海外進出をサポートしつつ、 2)国際流通分野において新たな基盤を築き、3)自らも多国籍商業資本として外国企 業の製品販売の分野において取り扱いを強化しようというものといえよう。 (おわりに(総合商社の機能についての整理) 以上、総合商社の果たしてきた役割を時代時代で見てきた。多様な役 割があったことが解る。また総合商社の役割・機能は時代時代のニーズに応じて変化して きたことも解っていただけたと思う。 もっとも、良く見るとこの間一貫して変化しなかった総合商社の役割・機 能があったことがわかる。その機能は財・サービスの「トレード」である。需要と供給を世 界的な規模で結び付けるマッチング機能といってよい。この「取り引き(トレード)機 能」は商社の一番大切な中核(コア)機能である。そのコア機能を囲む形で金融機能、 投資機能、オルガナイザー機能などの付帯機能があると整理できる。この付帯機能には 商品毎に極めて多くのバリエーションがあるが、中核は「トレード」機能にある。この 様に考えれば総合商社という存在がよりわかり易くなると思う。 この「トレード」の分野において総合商社は時代時代のニーズに応じて、 極めて敏感に、取扱商品、相手先、地域を変化させてきた。ビジネスのやり方もしかりであ る。変化してきている。 現在、世界経済は古典的な弱肉強食の時代から協調の時代に入ってきている様に見える。 日本の産業にとって国際的な協調関係、経団連の言葉では「共生(シンビオシス)」が 課題になっている。国際的なビジネスの仲介者としての総合商社に期待される所は大き いと思う。 [主要参考文献] 内田吉英「商社」教育社、1991 島田克美「商社」日本経済評論社、1986 杉本昭七「日本貿易読本」東洋経済新報社、1992 補足:最近、一部の米国の研究者から日本の企業集団(系列)が日本の輸入を阻んでい るのではないかとの疑問が出されたことがある。昨年、その議論に対するコメント・反 論を書いた。そのペーパーを入れておいた。もしこの種の議論に興味のある方がおられ れば、若干テクニカルではあるが参照乞う。 |
1992年12月1日火曜日
日本経済の発展と総合商社
1992/12
1992年3月1日日曜日
欧州統合と日本企業への期待
1992.3
-------------------------------------------------------------------------------
1.要旨
最近、日・欧の企業関係に少し変化が出てきているように見える。欧州企業に於ては、
従来の「日本企業は敵」としか考えない偏屈な態度が弱まり、何とか日本企業との協調
の道を探そうとする姿勢が強くなってきている様に思える。民間会社である当社の東京・
大阪本社にも欧州の企業のみならず、政界・学界からの訪問団も、最近、とみに頻繁に
訪れるようになった。一方、日本の企業においても、経団連が今年の活動テーマとして
「共生」という標語を挙げたように、従来の現地進出一辺倒の態度から、欧州企業との
共存の道を探す姿勢に変わりつつあるようだ。この変化のなかで、伝統的にマッチメー
カーの役割をはたしてきた総合商社のビジネス・チャンスは高まってきているとも言え
る。先般、現地に出張し欧州の各界の専門家の意見を多く聴取する機会を持ったが、こ
の欧州側の姿勢の変化の背景となっている欧州統合の動き、統合に対する各国の事情の
相違、その中での日本企業への欧州の期待の高まりという点を整理してみたい。
2.欧州統合と各国事情
93年から始まるECの市場統合、さらに昨年12月にマーストリヒトのEC首脳会談
で宣言され、92年2月に条約として調印された「改正ローマ条約」は欧州企業の戦略
にも大きな影響を与えている。この条約で、ヨーロッパは今後単なる共通市場ではなく、
通貨統合を軸として、通貨・経済・政治の三つの分野における総合的な統合である「欧
州連合」を目指すことになった。しかし、この欧州連合への道は、各国それぞれの個別
の事情が大きく異なっている現状では、けっして容易なものとは言えない。欧州統合に
は相当に荒っぽい各国経済の収斂(コンバージェンス)が必要となってくる。この各国
経済条件の収斂は、当然欧州の企業経営にも大きな影響を与えることになるのである。
各国別にそのあたりの事情を見てみる。
(1)期待と不安が混ざる欧州の発展途上地域
まず一番大きな影響を蒙るのが、欧州内部でも比較的産業の国際競争力が低い低開発地
域の産業である。具体的にはスペイン、ポルトガル、アイルランドなどの後発の国々で
あるが、ドイツとの比較において劣位という意味では、潜在的にはイタリアを始め全て
の欧州諸国においてこの懸念が存在するといえる。加えて、これらの国々では、通貨統
合への厳しい経済条件をクリアするために、強いデフレ政策の必要性に迫られていると
ころが多い。当然、従来のような各国市場の特殊性に依存した競争制限的な環境のもと
で、潤沢な財政支出に依存した企業経営は難しくなってくる。欧州統合に対する態度も、
拡大される市場への「期待」と厳しくなる競争条件への「不安」が入り混じったものと
なる。競争に負けた場合の救済策(地域政策)を統合の条件として主張することになる。
経済・通貨の統合は、ある意味では欧州全体への弱肉強食ルールの導入であることを考
えれば、弱者に対しては救済策を講じることが統合の条件となる。現にEC予算計画に
よれば、今後欧州内部の低開発地域への財政支援額を急増させ、1997年には全EC
予算の33%を占めるまでに増大させる計画となっているが、それで十分であるかにつ
いてはまだ解からない。一部のイタリア企業のように、自国の貧弱なインフラを見限っ
て対外進出を進めるところもでてこよう。またスペインのように賃金上昇次第では逆に
撤退する外資がでてくる危険があるところもある。いずれにせよ、これらの地域におい
ては産業の競争力強化が早急の課題であり、その為の切り札として、今まで以上に日本
の技術、資本に対する期待が高まることになる。
(2)フランス:高まる国内の政治的不満と産業政策
フランスであるが、今回のマーストリヒトで政治的にはドイツを欧州連合という枠内に
取り込んだかたちとなり、欧州内部ではラテン系が多数派であることを考えれば、まず
は大成功と言える。また経済的にもEMS内でフランを安定させるという政策が、ドイ
ツを下回る物価上昇率にまでに物価を安定させ、それが貿易収支の改善などのいい結果
を産み出している。通貨統合への道は基本的にこの路線の延長であり、フランスにとっ
ては比較的に問題の少ない道といえる。しかし、通貨統合は両刃の剣でもある。これが
国内で独自の財政・金融政策を著しく困難にしていることも事実である。失業率が高ま
るなかで景気対策が打てずフランス国内では政治的不満が極度に高まっている。経済的
なメリットも政治的には高いものについているわけであり、これがフランスにとっての
統合コストであるとも言える。産業政策面では、同国の欧州内部での経済力と政治力の
ギャップが大きいだけに、自国の産業競争力を何としても高めたいとの意識が強烈であ
り、日本企業に対してはECを通じては圧力をかける一方、二国間ベースでは協調姿勢
を取り、日本のいいところを取り込もうとの姿勢がとみに顕著になりつつある。
(3)イギリスでも検討される産業政策の導入
大陸諸国と一線を画してきたイギリスにおいても、徐々に変化が窺える。従来、イギリ
ス経済は、企業と家計の過剰債務体質、短期的利益指向および製造業の軽視というある
意味ではアングロサクソン経済の共通の問題を抱えていた。特に、この製造業に対する
考え方が大陸諸国とは相当異なり、それが日本の直接投資を巡り、英国と大陸諸国の間
でぎくしゃくした関係をつくりだしたこともあった。しかし、そのイギリスにおいても、
穏健なものであるとはいえ産業政策の導入が議論されるようになっている。通貨統合で
自国の主権の一部を欧州レベルに移管すること、また欧州共通の労働条件などを規定す
る社会憲章にも強い拒否反応がある英国ではあるが、徐々に大陸諸国との収斂が進んで
きているとも言える。日本の直接投資についても、基本的に自由主義の考え方には変化
はものの、既存企業との協調という点についても、従来以上に配慮する兆しが窺える。
(4)ドイツ:深刻な財政負担とインフレ圧力
最後にドイツであるが、もともと産業競争力が欧州では際だって強いだけに統合により
産業が打撃を蒙ることは比較的少ないと見られてきた。また通貨統合はドイツ連銀の考
え方をほぼ忠実に反映するかたちで取り進めるかたちになり、この意味でも現状を大き
く変えるものではない。しかし、そのドイツにおいてすら、二つの意味での先行きへの
撹乱・コスト要因が存在する。
まず財政面のコストであるが、東西両ドイツの強引な通貨統合が旧西ドイツに莫大な財
政負担を強いていることは、欧州全体の通貨統合の結果を占う意味においても示唆的で
ある。市場統合のパッケージとして南の地域に対する財政支援が計画されていることは
前述の通りであるが、このコストを負担する国と言えば、やはりドイツが主役とならざ
るを得ない。ドイツでは東ドイツ関連の財政支出がすでにしてマクロ経済面での成長抑
制要因になりつつあるうえに、東欧関連、CIS関連の財政支出が予測されている。そ
の上に、このような欧州内部への持ち出しが加わる。この中で通貨統合の経済条件であ
る、財政赤字の縮小に取り組まねばならない。当分経済政策の舵取りは難しくならざる
をえない。産業基盤にも悪影響がでてくる可能性もある。
さらに、各国通貨の平均値的な存在となる欧州単一通貨は、現在最も強いドイツマルク
よりは必然的に弱いものとならざるを得ず、物価上昇圧力の高い国にとっては新しい単
一通貨はディスインフレ要因となるものの、ドイツにとってはインフレ要因となるとい
う点がある。ただでさえ最近の賃上げ圧力はドイツの単位労働コストを欧州内部の比較
において急速に上昇させつつあり、通貨統合について否定的な意見が多く出されるよう
になっている。
この二つの懸念材料は企業の投資戦略にも微妙な影響を与えつつあるようである。ドイ
ツ企業の対外投資が急増する中で、外国企業のドイツ向け投資は1990年の29億マ
ルクに対して、1991年は12億マルクと急速に減少しつつある。
以上のように欧州統合への道のりはけっして平坦ではなく、紆余曲折があるものと思わ
れる。しかしヨーロッパでは、このように最初に基本線を決めて、後で細かい点は詰め
て行くとのやり方で過去、統合を進めてきた。「欧州連合」についても同じような展開
を見せ、結局は実現するものと思われる。ただ、各国経済の条件を収斂させて行く過程
は、上記で見たように相当コストがかかる。企業にとっても痛みを伴うものとなると見
られる。それだからこそ欧州企業も対応策を練ることになる。企業戦略と言えば、日本
の存在を無視しての企業戦略はどの分野においても徐々に難しくなってきているのであ
る。
3. 欧州企業の間で高まる日本企業への期待
歴史的に、欧州においては、日本企業は欧州企業に対する「脅威」としてネガティブに
捉えられてきたように思われる。EC統合それ自体が、日本からの競争を意識したもの
であるとも言える。そのような欧州側の意識に対応するように、日本企業の間で欧州は、
いずれ「要塞化」するとの懸念が根強く存在してきた。これは要塞化される前にインサ
イダーとなっておこうと、80年代後半に日本から欧州への広範な分野における直接投
資のブームに結びつき、これがまた日欧間の経済関係を緊張させることになった。これ
が上記で個別に述べたように最近ちょっと変わってきている。勿論、日本市場の閉鎖性、
日本企業の攻撃的な市場戦略に対して強い批判は存在してはいるが、同時に欧州側に今
まで以上に日本企業との共存・協力関係を求める姿勢が見え始めているように見える。
背景の一つに、市場統合によってかならずしも日本企業に勝てる保障はないということ
が徐々にあきらかになってきたこともある。従来の欧州企業の発想には、ややもすると
統合市場について規模のメリットを追及する大量生産方式に対する過大な期待があった
様に思えるが、時代はこのような小品種大量生産方式の時代から多品種小量生産方式の
時代に移っていたわけであり、市場が大きいだけでは必ずしも日本からの競争には勝て
ないことがわかってきた。勝てない以上、協調策を模索することになる。日本企業に対
する硬軟両面からの二本立て戦略の使い分けがなされることになる。
その意味でフランス政府が1991年7月に纒めた「フランスおよびヨーロッパの対日
政策について」と題する報告書は興味深い。日本産業の競争力を実に細にわたり分析し、
日本産業の競争力の源泉はその文化的・構造的側面にあり、この競争力の上昇は、当面
(10ー20年にわたり)続きうると結論付け、欧州産業としては、纒まって欧州レベ
ルで対抗策を準備するべきとする一方で、各国、個別企業ベースでは日本企業との提携、
協調を通じて日本産業の活力を取り入れることが必要であると、硬軟使い分け対日政策
を提言している。この報告書が相当の影響力を発揮していることはその後のフランス政
府およびEC委員会の対日姿勢を見ていても窺われる。イタリアにおいても、従来は日
本企業の進出について極めて警戒的であったイタリア自動車産業が、今後は逆にイタリ
アにおける日本の自動車部品産業の進出が少なすぎることに不満の意を表明している。
ドイツ企業の日本企業に対する態度についても、従来からの自由主義的な考え方の中に
も、本音の部分で警戒心が高まりつつあるように見受けられる。欧州全体にこのような
アンビバレント(愛憎並存)ともいえる心情が観察できるのである。
従来、欧州においては日本産業に対して非常に開放的なイギリス、閉鎖的(敵対的)な
フランスとイタリア、開放と警戒心と合い混じったドイツという分類の図式があった。
しかし最近は、各国ともに徐々にその中間点に収斂しつつあるとも言える。
一方、日本企業側においても、従来からの何が何でもまずは欧州でインサイダー化しよ
うといったグリーン・フィールド投資を中心とする投資ブームが一段落し、経団連の「
共生」という標語が表すような欧州企業との協調関係を模索する動きがでてきている。
グリーン・フィールドへの投資であれば、従来はイギリスへの投資が手っ取り早く行な
われたわけであるが、既存企業との協調となると産業基盤が整った大陸諸国での展開が
あらためて注目されることになる。もっとも、このような国際的な提携関係は、国際摩
擦を回避する一方で、競争制限的な色彩を帯びる可能性もあり、両者のバランスが求め
られることは言うまでもない。
4.総合商社にとってのビジネス・チャンス
上記のような、日欧の双方における企業姿勢の変化は、今後の日欧の産業関係につい
ても、従来のいわば「対欧進出一辺倒のメーカー的な発想」の時代から、提携、協調関
係の形成を重視する、「リエゾン指向の商社的な発想」の時代に移りつつあると言える。
総合商社の出番がやってきたとも言える。
EC委員会を訪問したとき、日欧投資のインバランスからいって日本市場こそ要塞であ
るとの厳しい指摘とともに、「総合商社にこそこのような現状を打開するための役割が
期待されている」と檄を飛ばされた。総合商社に期待されている役割について特に二つ
挙げてみたい。
まず第一に、欧州企業の巨大な日本の国内市場へのアクセスの支援である。日本の国内
市場を活用した国際貢献は欧州に限らず今後注目されて行こう。日本側の統計で見ても
我が国の対外・対内直接投資バランス(対外投資額を対内投資額で割った比率)は19
90年で20.5倍とアメリカの1.0倍、ドイツの2.2倍を圧倒的に上回る。国内
市場にいかにして外国企業を呼び込むかということが、重要な国家課題となっている。
通産省は今般、「輸入の促進および対内投資事業の円滑化に関する臨時措置法案」を国
会に提出した。この法案では、外国企業に対する国内の投資環境情報の提供、合弁斡旋、
人員採用協力など、数多くの具体策に触れられているが、基本的には従来の総合商社が
果たしてきた機能そのものの強化策であるといえる。日本の投資インバランスの是正の
問題は、過去の閉鎖的なシステムで日本企業が享受したとされるメリットを遡って調整
する、結果がイーブンになるまで努力が必要という一種のアファーマティブ・アクショ
ンのようなものになる可能性が高いと言われている。ということは、日本としては半永
久的にこの方向で努力しなければならないということである。今後長期間にわたりこれ
が国家的課題でありつづけることを考えると、古くて新しい問題とは言え、この時代の
流れの中にビジネス・チャンスを求めることは可能であろう。
第二に、技術提携斡旋である。欧州企業の興味は煎じ詰めてみれば日本の技術にある。
戦後、日本の総合商社が日本産業の外国技術の導入にあたり積極的に仲介の役割をはた
し、またそれを商社の商権確立に結び付けてきたことは良く知られている。今度は、そ
の流れを逆にして、欧州企業の為に技術の提供を行なうべき時期になってきていると言
えよう。従来の日本企業のヨーロッパ企業との技術提携は、直接投資と結び付けるなど
で、基本的に技術を市場シェアの拡大(もしくはシェア管理)に結び付けるなど競争制
限的性格もあった。今後は国際摩擦を回避する意味に加え、競争制限的な性格を抑えな
ければならないとすれば、技術を単体で輸出する(市場分割には結び付けない)という
形が望ましいとされるのかもしれない。技術が商品化され単体で流通するということで
もあり、ここでも商社の出番がある。
総合商社の「機能」については実に様々な議論があった。総合商社の「金融機能」、「
在庫機能」が注目された時代もあった。「情報機能」として海外駐在員が打電するテレッ
クスが評価されることもあった。「オルガナイザー機能」と称してプラント受注などで
のプロジェクト・メンバーの形成・調整機能が注目を浴びたこともあった。けれども時
代を通じて、一貫して変わらなかった「基本的な商社機能」というものがあるように思
える。それは内外の顧客ニーズの変遷を敏感に探知して、そのニーズに対応した長期的
かつ安定的な取引関係をアレンジ・メンテナンスするというマッチ・メーカーとしての
機能であろう。これが総合商社の商権の形成の基本的な背景となった。その意味でいま
日・欧の通商関係においては、総合商社の、この伝統的といえる「機能」に対するニー
ズが高まってきていると言えるのではないか。
(橋本尚幸)
1992年1月31日金曜日
欧州統合に関する所見
1992/1
第1部「所見」
1.三つの印象
今回の出張に於いて三つの大きな印象を受けた。
(1)「欧州連合」への大河の流れ
まず第一に、ヨーロッパの統合への大きな流れは、大河の流れのごとく、いよいよ後戻
り出来ない不可逆的なものとなったとの印象である。これは当社のビジネス展開にあたっ
ても、欧州を一元的に把握した上での戦略策定の重要性が高まっていることを今更なが
ら確認するものであった。
(象徴的なマーストリヒトの首脳会談)
出張中に、マーストリヒトに於いてEC首脳会談が開かれていたが、この会談を巡る各
種報道・観察は、ある意味で象徴的であったように思う。首脳会談の前のマスコミの論
調を見るに、各国の対立は如何に根深く、数多く存在するかと言う点が強調され全体的
に否定的な観測が目立っていたように思う。結果は見ての通りの「大成果」となり、外
務省の評価も「欧州が共同体(Community)から連合(Union)への質的
変化を新条約の形で合意したもので、我が国としては、現在欧州で起きていることは歴
史上の節目(民族国家の概念の変遷を含む)であるとの認識を持たねばならない」とい
う極めて高いものとなった(国際情勢資料、平成3年12月13日)。
勿論、欧州統合は、このまま一直線に進んで行くものではなく、今後とも紆余曲折はあ
ると予想される。しかし欧州統合の将来について、ことさら否定的見方を並べるのでは
大局を見誤る可能性があるように思う。その点で非常に印象的だったのは、「ヨーロッ
パ人は合意と妥協の天才である」、「基本的になんでも出来るんだという頭で見ておい
たほうがよい」との日本政府EC代表部の金原氏のコメントである(首脳会談に先だっ
てのコメント。面談記録15頁)。交渉に当たっては、彼我の相違点を強調し過ぎるぐ
らいに強調し、相手方の譲歩を主張し合うので一見合意は不可能に見えるが、大きな基
本線では合意しているのでゆっくりではあるが着実に前に進んで行くという観察であっ
た。
ドロール委員長はローマ条約締結以来、1)欧州内部では戦争をやってはいけない、2)
欧州の再活性化が必要と、この二つのことだけを考えてこの30年間努力を続けてきた
とのことだが(EC代表部、面談記録15頁)、まさに「愚公、山を移す」の故事どお
りの展開となってきている。「我々はチェーホフの大河ドラマの大きな流れのなかに居
る」(ジェトロ・ミラノ内藤所長、面談記録34頁)、「2~3年で建設した新宿都庁
ビル建設と35年かけているラ・デファーンス建設では取り組み方の哲学が基本的に違
う」(フランス住商井田社長)などのコメントも印象に残る。
ヨーロッパの一体化がもはや後戻りできない点に来ていると考えられる別の観点からの
理由として、日常生活の中での普通の人々がEC統合の経済的メリットを実感している
という事実がある。67年からの市場統合を進めるなかで、特にEMS(ERM)のな
かで、ヨーロッパ各国のインフレは緩やかに落ち着きの方向に進み、統合期待の高揚効
果も加わり実質成長率は過去に比べて確実に高まり、消費生活が確実に改善されたこと
を強調する人が多かった。1980年代の前半のEC12箇国平均実質成長率は1%台
の半ばであったものが、EC統合が具体的に進みだした1985年以降は平均で3%弱
にまで実質成長率が加速された。一度カラーテレビを見てしまうと白黒テレビに戻れな
いのと同じく、「欧州統合」の流れが人々の経済生活の向上をもたらしている以上、後
戻りは難しい。
企業レベルでも欧州は一つとの認識の下に、極く日常的に統合欧州を前提とした戦略が
検討されているようだ。「イタリア企業は域内投資(M&A)に熱心だが、イタリアの
貧弱な公共サービスの制約のもとでビジネスをするよりは、国外に出てのびのびやった
ほうがよいと考えていることも一つの要因」(BCI、面談記録32頁)。個人レベル
でも同様のことが進んでいる。ブラッセルで訪問したEC委員会のお役人はフランス人
だったが、「今晩の夕食はパリに帰って食べるので、今日はこれで失礼する」と会談を
切り上げた。(ちなみに、その時、時間はすでに午後6時半であった。その時間からパ
リまで車で帰って夕食が食べられるほど、欧州は小さく一体化している。)
(いわゆるドイツ問題)
新しい強大なドイツの誕生を、欧州統合の将来にとっての不安定要因と捉える見方もあ
るが、ドイツでお話しを聞いたドイツのエコノミスト達の態度は総じて非常に慎み深い
ものだった(傲慢さが目立つ最近の日本のエコノミストとは相当違う)。要は、東欧問
題、ロシア問題までを考えると、いろんな意味で最も大きな影響を受けるのは地理的に
見てドイツとなることが明かである以上、またその影響もネガティブなものが予想され
る以上、ドイツは他の欧州諸国の政治的サポートを必要とし続けるということだと思う。
昨今、ユーゴ問題、EC実務レベル言語の問題などでドイツの独自行動(?)とジャパ
ン・バッシングにも似たドイツ・バッシングが目につくが(FT、1/20など)、過
去の負い目もあり、当分ドイツは自重を続けるのではないだろうか。また取りざたされ
ている独・仏関係であるが、独仏両国は日本で見ているよりはずっと友好的であるとの
印象を持った。ドイツ産業は今後引き続き欧州で抜きんでた存在であり続けることは間
違いのない事実であるが、それは欧州の利益に合致するシナリオに添ったものとなって
行く(ドイツの経済発展の成果を「欧州全体」が享受するという形に収斂して行く)と
思われるのである。
「大いなる失敗」で早くからソ連の崩壊を予言していたブレジンスキーは、いくら日本
が経済大国だといっても、米国が今後数十年にわたり超大国であり続けることは変わら
ない。超大国の条件は軍事力、政治的影響力、経済力、文化的魅力の四つが等しく必要
と言っているのは(日経1/23)、欧州の将来を考える際にも示唆的である。日米両
国の経済規模に占める日本経済の比重は約35%、一方、EC諸国の経済規模に占める
ドイツ経済の比重は大きくなったとはいえまだ約25%である。日本が米国を「牛耳る」
ことが難しいのと同じように、ドイツが欧州全体を「牛耳る」こともなかなか難しいの
ではないか。
欧州内部の個別の問題をとりあげ、EC統合の将来につき懐疑的な見方をすることは易
しい。しかし大きな流れとしては、欧州は確実に一つになりつつあるとの認識が重要で
はなかろうかと思う。その前提に立った前向きの企業戦略の立案(欧州の統合的運営)
が望まれる所以である。
(欧州の「要塞化」について)
欧州一体化への大きな流れに関連し、昔から懸念され続けている「要塞化」の問題につ
いて各識者の考えを聴いてみた。世界的に管理貿易の色彩が強まっているなかで、特に
産業保護政策が伝統的に強かった欧州大陸の国々の間では「利益の均衡」の主張がなさ
れている。自由貿易論がまだまだ健在であるとはいえ、産業競争力の格差を考えれば、
日欧通商関係も徐々に管理色を強めて行かざるをえないだろう。しかし、だからと言っ
て、欧州が要塞化し日欧間の貿易が大きく抑制されると考えることはないというのが一
般的な見方であった。EC統合が欧州経済の活性化をもたらす以上、日欧貿易も(幾ら
か管理色が強まるとはいえ)着実に伸び続けると見るのが自然であろう。欧州「要塞化」
は決して新しい懸念ではなく、昔から存在する。しかし「要塞化」云々言われ続けてき
た1980年代の日欧貿易を見ると、「要塞化」懸念とは裏腹に、日欧貿易金額は輸出、
輸入両方においてきわめて高い伸びを続けてきたことがわかる。
(注)80年代の日本の欧州(EC12箇国)向け輸出(ドルベース)の年平均伸率は
12.4%。一方対全世界輸出の平均伸率は8.2%、対米輸出の平均伸率は11.2
%。また欧州からの輸入年平均伸率は16.1%。一方対全世界輸入の平均伸率は5.
3%、対米輸入の平均伸率は7.9%。(通関統計)
貿易不均衡の問題をどのような形で是正するかであるが、基本的にまず拡大均衡を目指
した措置が検討されるだろうし、統合市場が欧州経済にプラス材料となる以上、日欧貿
易も(それほど否定的にみるのではなく)今後とも基調として堅調と見るのが自然であ
ろう。
要は、欧州の将来については、基本的に楽観的な見方に立って物事を考えておくほうが、
大局を見誤らないように思われるのである。(第2部で述べるが、欧州諸国の景気は総
じて、この1ー2年は減速局面を迎えることになる。これをどう見るかだが、基本的に
経済成長率とは望ましい経済成長率との関係で判断すべきものであり、中・長期的に欧
州の将来を楽観視する上記の見方とは矛盾しない。)
(2)ベースとしての「普遍性」、その中で複雑な「多様性」
二番目の印象だが、上記で述べたヨーロッパの一体化という大きな流れは、その中に数
多くの複雑な反流・伏流を包含しているということである。一見矛盾しているようで、
これが欧州問題の理解を難しくしている。ベースとしてのヨーロッパは一つであるもの
の、その中で個別性の概念が存在する訳で、ヨーロッパは「普遍」と「個別」の二つの
軸で構成されたマトリックスと捉えることも出来る。所詮、言葉が違い、文化が違い、
制度と歴史が違う国々なのである。
コール首相は「ヨーロッパは統合されても、ドイツはドイツであり、フランスはフラン
スであることには変わりない。個別の国家の上にヨーロッパという大きな傘をかけて、
全体で決定したほうがよい問題はこの傘の中でで決めていくのだ」と述べた由(ジェト
ロ・デュッセル、面談記録11頁)。これは Subsidiarity(補完性)の原則と呼ばれ
ているが、どの問題をどのレベルで決定するのか自体、決定はそれぞれ難しい。国益が
からむ、よってポリティックスが渦巻く。
さらに関係者が口をそろえて言うように、今後のヨーロッパでは国家の問題以上に「地
域」の問題が顕在化・先鋭化して行くと見られる。(ベルギー、イギリス、イタリア、
ドイツ、フランス等ほとんどの国でこの地域問題を実感した)。統合市場とは欧州規模
の苛烈な競争市場であり、勝者となる産業(地域)が出れば当然敗者となる産業(地域)
も出てくる。これに民族問題が絡み、地域問題は一層複雑化する。ヨーロッパ内部の南
北問題も存在する。
ヨーロッパは一つであるとの認識は基本的に正しいものの、それを一つとして捉え、運
営して行くためには、他の地域以上に綿密な情勢判断の為の調査・分析が要求されてい
ると言うことだと思われる。地元のヨーロッパ人ですらヨーロッパを一つとして運営す
るためには、EC委員会という巨大な官僚機構の存在を必要としているという事実は、
(EC機構は旧式の官僚機構であるとの批判は存在することは別にしても)当社の欧州
統括運営の形態を考える場合にも参考になるかもしれない。
(3)高まる日本への期待
三番目の印象だが、「日本」の捉え方についてのものである。日本は欧州経済・産業に
対する「脅威」であるというネガティブな捉え方がある一方で、技術、資本および市場
の提供者として日本への「期待」が欧州で高まっている。We can't afford not to be
interested in Japan (英国ビジネスマン). というコメントもある。世界で一番期待成
長率が高い太平洋地域を無視しての企業経営はありえないとの認識のもとに、日本に対
する「懸念」と「期待」が同時に高まってきているのである。
EC統合市場の実現により欧州企業は(欧州市場のことで頭がいっぱいで)域外のこと
への関心を失いつつあると言われたこともある。しかし話は逆で、太平洋地域への関心
は低下するものではなく、却って関心が高まっているというのが実情のようだ。すなわ
ち1993年からの統合市場への移行は、とりもなおさず欧州企業間での苛烈な競争の
始まりを意味するわけであり、「欧州内部での競争に勝ち抜く為にも」日本の企業と組
もう(日本の技術と資本を切り札として使おう)との戦略が注目されている(IRI、
面談記録36頁)。このままでは負けてしまう可能性が強いドイツ以外の国々の産業界
では特にこの考えが目立つ。そこで総合商社に対しては日本との関係強化のための懸け
橋の機能が期待されることになる。企業経営のグローバル化、ボーダレス化に伴い、こ
の懸け橋の役割も単なる特定商品の製造・販売に関する仲介にとどまらずコーポレート・
レベルでの提携の斡旋機能すら期待されるようになっている。EC委員会から「住友の
ような大企業はもっと欧州企業の日本進出に力を貸すべきだ」との発言があったが(面
談記録、17頁)、これも総合商社への期待の高まりと解釈できる。
第2部で述べるが、統合ブームが一段落した欧州経済は今後2ー3年は全般的に調整局
面に入ると考えられ、経済も過去のような高い成長率は期待できなくなっている。これ
は企業収益、雇用に悪影響を及ぼす。それゆえに、関係者の種々の努力にもかかわらず
日本との通商摩擦は当面、一層先鋭化することはあっても、解決に向かうとは考えにく
い。ネガティブな意味で日本がイッシューとなり続ける。逆に上記のようにポジティブ
な観点からの日本への関心(期待)も同時に高まるわけであり、此辺をうまく調整して
全体関係をマネージして行くという姿勢が望まれる。
(注)今後の欧州の対日政策を占ううえで、フランス政府の経済社会評議会が取り纒め
た「フランスおよび欧州の対日政策について」という報告書(仏語)が非常に参考にな
る。詳しくはフランス経済の部分で述べる。
経団連は1992年の対欧州関係での活動方針として「共生」というテーマを掲げてい
る。「各論」の提携関係を超える「総論」での関係作りと言ってもよいかも知れない。
(すべての通商摩擦は、「各論」で議論することでの問題と言える。当該産業で被害を
訴える声が高い場合でも、同じ国の中に探せば受益者層がいるのでマクロの総論で見て
みるといい形になっている場合が大部分である。)商社としても個別取引という「各論」
を超えて、「総論」で対客先アプローチが出来る体制が望まれているのではないだろう
か。
(企業、団体の中に日本担当の責任者を設置しているところが多いが、彼らは日本の政
治・経済・産業・文化につき驚くほどよく勉強しているし、知りたがっている。日本の
「系列」問題につき強い関心を示す人もいた。ジャポノロジーへのニーズの高まりと言
おうか、「日本学」は売れるとの印象をもった。すなわち、日本のカレント・イッシュー
をネタにすれば相当の人でも興味を示す、会ってくれるとの印象をもった。)
2.総合商社の対応について(上記の三つの印象に関連し)
この三つの印象をベースに、考えられる総合商社としての対応策について整理してみた
い。
最初の「ヨーロッパは一つ」との印象については、簡単であり、欧州の将来を基本的に
楽観的に捉え、積極的なビジネス展開を期すために欧州戦略を一元化して行くと言うこ
とである。既にその方向で当社での検討が開始されており、これは確実に正しい方向で
あるといえる。
二番目の「その中での複雑な多様性の存在」であるが、欧州戦略の一元化といっても、
この多様性を十分に認識したうえでの一元化が望まれるということであり、そのために
は欧州レベルでの経済/産業/社会動向の調査・分析機能の拡充が期待されるというこ
とだと思う。
最後の「日本および日本商社への期待の高まり」という点については総合商社のリエゾ
ン機能および提供機能の高度化が大切ということになる。
(欧州の経済・産業調査体制について)
二番目の点について具体的に言えば、まず経済・産業調査の為に調査スタッフを欧州に
常駐させ専門的・継続的に欧州ウォチングならびに調査業務での日本との連携プレーを
始めることが望まれる。次の段階として、この調査機能を拡充するべく、経済・産業に
関する契約研究・調査業、データーベース業、市場調査業、経営コンサルタント業(会
計事務所も含む)などの対事業所サービス業分野での既存の業者との関係強化、さらに
可能であればM&Aを通じて、そこに蓄積されている膨大なデーター、ノウハウ、人材
を当社に取り込み、当社の総合商社機能の「深化」を目指すことも検討する余地がある
と思われる。
欧州が「欧州連合」へと深化して行くなか、欧州の経済、産業もその構造を変えつつあ
り、その中で日本の総合商社の欧州ビジネスでの介入余地は日々に狭まりつつあると言
われているが本当にそうであろうか。今回いろんな人との話しの中で、総合商社の本来
の機能そのものであるとも言える情報分析・提供機能、特に商社の「海外」と「日本」
のリエゾンの役割に対するニーズは欧州では依然として高く、逆に今後このニーズはむ
しろ高まっていくのではないかとの印象を持った。実際のビジネスにおいて総合商社の
介入余地が狭まってきていることは事実であろうが、それを総合商社機能そのものに対
する否定として捉えるのではなく、むしろ在来型ではない新しい総合商社機能への期待
が高まってきていると前向きに捉えることも可能ではないかと思う。商社機能の「高度
化」を狙っての投資が望まれるのではないか。
さらに通常の外延作戦における事業投資を考えても、欧州における最近のM&A状況の
分析によれば、大部分の企業買収が友好的に、部分的な買収形態を前提に、シナージー
効果(本業への具体的な波及効果)を狙いながら取り進められているとのことである(
シュローダー)。ということは欧州において新規分野への事業展開を図る場合でも、既
存の顧客との良好な取引関係を前提に、その取引先と共同で事業展開を図るという形が
引き続き主流であり続けると思われる。釈迦に説法であることを承知で言えば、当社の
取引先との関係強化、深耕が事業投資戦略の基本であると思う。
ただ、企業規模がお互いに巨大化している昨今、商売上の関係は、ややもすると、客先
の特定部門と当社の特定部門とだけの友好関係となってしまう可能性がある。(例えば
先方の購買部門と当社の売り込み部隊の付き合いにとどまる可能性など。勿論トップ同
士の関係緊密化があるがトップもスーパーマンではない)。コーポレート・レベルでの
関係強化、深耕を目指すには、通常の商売上のコンタクトにとどまらない幅広いレベル
での友好関係の構築が望ましいことは言うまでもなく、上記で述べた当社の調査・分析・
情報サービス機能の強化は、当社の取引先でのカウンターパートである調査部門、企画
部門との関係強化・交流拡大にも結びつくことで、これは結果的に欧州企業との戦略的
提携、合弁事業展開という観点からも、なにがしかの貢献につながると考えられるので
ある。
(この意味で、今回、業界団体、銀行ばかりではなく、FIAT、IRI、ICIなど
の大きな取引先企業内の経済調査部門とのコンタクトが出来たが、こういう関係を広げ
て行くことが重要と考える。)
(補足:商社機能の高度化について)
上記の商社機能の高度化に関連し、若干の補足を試みたい。総合商社の機能は、時代と
共に、また業界毎に様々に異なっている。産業資本の発達が充分でなかった時代には総
合商社の金融機能が重視された。国際的な情報伝達が未熟であった時代には商社マンが
もってくるテレックス情報が評価された。在庫機能がうたわれたときもある。同じ時代
をとってみても、商品・業界毎に総合商社の提供する機能は決して同じものではない。
しかし本質的に変わらない機能があるように思われる。その総合商社の本質的な機能と
は、いわゆる長期的継続取引関係に関連したものであるように思われる。総合商社は「
長期的継続取引を、セットアップすること、及び出来上がった継続取引関係のメインテ
ナンスをすることで、仕入れ先と販売先双方に経済的メリットを提供し、その対価とし
て口銭を貰う」と考えることも可能である。そう考えれば総合商社の機能とは、基本的
には「商権」と呼ばれる「安定的、継続取引」の「アレンジ」と「メインテナンス」に
有り、その目的のために(業界、状況に応じて)いろいろな形態での個別機能を提供し
ていると考えうる。
一つの仮説であるが、これは営業担当者の実感にかなり近いのではなかろうかと思って
いる。それが総合商社の企業間、業種間の接着剤機能であり、それを「リエゾン機能」
と呼んでもよい。その仮説に立てば、なぜ総合商社が「系列」と密接な関係にあり、ま
た総合商社という企業形態が日本に独特のものであるのかについても説明することが出
来る(Ref : N. Hashimoto, Structure of Japanese Business - Japanese Business G
rouping and General Trading Companies - Oct 1, '91)。そうすると総合商社の戦略、
総合商社機能の高度化という点についても、あくまでも「取引関係の構築」を最終目的
としたものであることが大切であることがわかる。投資においてもシナージー効果が重
視される所以である。
このように考えて行くと、総合商社には商取引の当事者という性格よりは、アドバイザー
またはコンサルタントというべき性格がむしろ濃厚であるように思える(勿論例外はあ
る)。総合商社は将来的にある種の経営コンサルタント的な性格を強めて行くし、また
強めて行かなければならないという小職の持論につながってくる。欧州に関する上記の
提言も、大局的にみて、この商社機能の変遷の方向に添ったものであると判断する次第
である。
3.欧州の「中心」に関する所見
欧州は一つとの認識にたった企業戦略を進めるうえで、その戦略拠点は何処におくべき
かという点について所見を述べたい。
当社の場合、過去からずっとロンドンが当社の欧州戦略の拠点となってきた。それに対
して、欧州の政治的、文化的、経済的センターは大陸部分に移っており、島国イギリス
は歴史的に見ても非常に「異質」な存在である、ロンドンから欧州を見ていては、大勢
を見誤るとの意見が根強く存在する。現実にEC委員会など国際機関はもとより、大陸
に欧州本社を設置する日本企業も増えている。ロンドンが圧倒的に強い金融センターの
機能にしても徐々に大陸に移りつつあるようである。
このあたりをどう見るべきか、今回の出張で、各国で、いろんな企業の、多数の人に、
その見解を聴いてみた。その結果、次のような整理を付けることが出来たように思う。
(なお、この整理はあくまでも実務・活動を行なう場所として考えたもので、税制面な
どの制度面から何処に会社を登記するのが有利かという点は考慮していない。)
まず、「中心」と言っても、どのような意味においての「中心」かという問題がある。
これ次第で話が変わってくるので、センターの性格を列挙してみる。即ち:1)政治の
中心地、2)行政の中心地、3)産業の中心地、4)金融の中心地、5)情報が集まる
中心地、6)文化の中心地、8)人的資源の中心地、等などが考えられる。次に、現実
にそれぞれの機能毎に欧州内部のどの場所がセンターであるのかを考えてみる。
1)まず、政治・行政の中心地:これは文句なくEC委員会がある「ブラッセル」であ
ろう。欧州企業もブラッセル重視の戦略を立てるところが増えている(ドイツ機械輸出
連盟など)。法律事務所も大挙してロンドンからブラッセルに移ってきている(住銀ブ
ラッセルの話し)。
2)次に、政治は政治でもポリティックスという観点で考えてみると、これは理屈では
ブラッセルかも知れないが、現実には「各国政府」であるように思える。欧州はどのよ
うな力関係にあるかを素直に考えれば、ポリティックスの中心はやはり、英国と、フラ
ンスとドイツの三箇国であろう。さすれば「ロンドン」、「パリ」、「ボン」(ベルリ
ン)と言うことになる。
3)産業の中心地ということになると、各国にそれぞれ産業は存在するが、一番有力な
産業センターは「デュセルドルフ」などのドイツの都市であろう(若干分散している嫌
いはあるが)。
4)金融の中心地となると、フランクフルトへ金融機能が徐々に移りつつあるとか、先
物取引はすでにパリの取引額がロンドンを上回ったことなどが言われるが、当分は、ま
た見通し可能な範囲では将来的にも「ロンドン」が中心であることには、ほとんどの人
は異論がない。
5)情報が集まる中心地となると、特に銀行関係者が口をそろえていっていることであ
るが、情報が発生する場所ではなく、情報が集まってくる場所として考えると「ロンド
ン」の地位が高いようだ。特に分析され、整理された情報と言うことになると、やはり
ジ・エコノミスト、チャタムハウス、フィナンシャル・タイムズなどの情報分析機能が
集中しているロンドンということになる。これはシティーという巨大な情報をお金で買
うバイヤーの存在が大きい。バイヤーがいるところに商品(この場合情報)が集まって
くる訳である。しかも、日本企業の場合、そのまま東京に発信できる英語の形で情報が
存在することが大きい(フランスにも結構、データー・文献情報が存在するが、言葉の
問題があり、そのまま東京に送れない)。もっともロンドンの情報はすでに整理されて
いることから、生の情報ということになるとやや問題があるとの意見もある。
6)文化・人的資源:何処が文化の中心かとなると、これは価値観の問題でもあり、決
着はつきそうにない。そこで文化をつくるのは人間であることから、人口が多い都市は
文化も高いと大胆に仮定すると(人間が集まってくるというのは、それだけその都市に
求心力があるということであり、人口は意味のある指標である)、そうすると「ロンド
ン」と「パリ」になる。
以上の得点を単純に合計する。ドイツは全部一つとして勘定しても、やはりロンドンの
得点数が高いことがわかる。(ロンドン:4点、パリ:2点、ドイツ:2点、ブラッセ
ル:1点)
しかし、現実には、このような単純な、足し算ではなく、どの機能にどれだけの加重を
付けるかとの判断(どの機能を重視するかとの判断)が重要になってくることは言うま
でもない。産業が何処に集中しているかという点には(総合商社は産業で成り立ってい
る以上)、もっとウェイトを付ける必要が出てこよう。現時点の評価より、将来の方向
といった点にも考慮する必要がある。
また、機能毎にセンターが異なる以上、平均点でどこが「欧州の中心」であるかといっ
た問題は、結局は回答が出ない問題であり、「欧州とは複数のセンターが存在する地域
である」と考えるべきであるのかも知れない。
その意味で参考になる意見であるが、著名な未来学者アルビン・トフラー氏のコメント
がある。同氏は、ECの中央集権的官僚組織を批判して、「これは”煙突時代”の旧式
な発想であり、本来ならば中央集権的な官僚組織などではなくネットワーク型の組織を
つくるべきである」と述べている(日経新聞、1/20/92)。たしかに一つの「セ
ンター」をきめてそこから何から何まで「指令」を発するという発想は時代遅れとなり
つつあるのかも知れない。企業の経営に当たっても、複雑な個別の事情を勘案しながら、
フロントの主体性を発揮して行くためにも、柔軟な「ネットワーク型」の組織運営を前
提にした「本社」の在り方が望ましいとも考えられる。ネットワーク型組織と言えば、
その部は中枢部は「神経組織」である。神経組織と言えば、「情報」である。
ネットワーク型企業経営における本社機能は、「情報」および「コーディネーション」
を媒介とした本社運営であり、その所在地に重要視される機能はやはりふんだんに存在
する「情報」であろう。情報が集まるのは何と言ってもロンドンであることは先に述べ
た。現状では、統括会社の本社の所在地はやはり現在の「ロンドン」が望ましいという
ことになる。ロンドン情報のバイアス性の問題であるが、基本的にすべての情報にはバ
イアス性の問題があるわけで、これは足でカバーする以外ない。
第1部「所見」
1.三つの印象
今回の出張に於いて三つの大きな印象を受けた。
(1)「欧州連合」への大河の流れ
まず第一に、ヨーロッパの統合への大きな流れは、大河の流れのごとく、いよいよ後戻
り出来ない不可逆的なものとなったとの印象である。これは当社のビジネス展開にあたっ
ても、欧州を一元的に把握した上での戦略策定の重要性が高まっていることを今更なが
ら確認するものであった。
(象徴的なマーストリヒトの首脳会談)
出張中に、マーストリヒトに於いてEC首脳会談が開かれていたが、この会談を巡る各
種報道・観察は、ある意味で象徴的であったように思う。首脳会談の前のマスコミの論
調を見るに、各国の対立は如何に根深く、数多く存在するかと言う点が強調され全体的
に否定的な観測が目立っていたように思う。結果は見ての通りの「大成果」となり、外
務省の評価も「欧州が共同体(Community)から連合(Union)への質的
変化を新条約の形で合意したもので、我が国としては、現在欧州で起きていることは歴
史上の節目(民族国家の概念の変遷を含む)であるとの認識を持たねばならない」とい
う極めて高いものとなった(国際情勢資料、平成3年12月13日)。
勿論、欧州統合は、このまま一直線に進んで行くものではなく、今後とも紆余曲折はあ
ると予想される。しかし欧州統合の将来について、ことさら否定的見方を並べるのでは
大局を見誤る可能性があるように思う。その点で非常に印象的だったのは、「ヨーロッ
パ人は合意と妥協の天才である」、「基本的になんでも出来るんだという頭で見ておい
たほうがよい」との日本政府EC代表部の金原氏のコメントである(首脳会談に先だっ
てのコメント。面談記録15頁)。交渉に当たっては、彼我の相違点を強調し過ぎるぐ
らいに強調し、相手方の譲歩を主張し合うので一見合意は不可能に見えるが、大きな基
本線では合意しているのでゆっくりではあるが着実に前に進んで行くという観察であっ
た。
ドロール委員長はローマ条約締結以来、1)欧州内部では戦争をやってはいけない、2)
欧州の再活性化が必要と、この二つのことだけを考えてこの30年間努力を続けてきた
とのことだが(EC代表部、面談記録15頁)、まさに「愚公、山を移す」の故事どお
りの展開となってきている。「我々はチェーホフの大河ドラマの大きな流れのなかに居
る」(ジェトロ・ミラノ内藤所長、面談記録34頁)、「2~3年で建設した新宿都庁
ビル建設と35年かけているラ・デファーンス建設では取り組み方の哲学が基本的に違
う」(フランス住商井田社長)などのコメントも印象に残る。
ヨーロッパの一体化がもはや後戻りできない点に来ていると考えられる別の観点からの
理由として、日常生活の中での普通の人々がEC統合の経済的メリットを実感している
という事実がある。67年からの市場統合を進めるなかで、特にEMS(ERM)のな
かで、ヨーロッパ各国のインフレは緩やかに落ち着きの方向に進み、統合期待の高揚効
果も加わり実質成長率は過去に比べて確実に高まり、消費生活が確実に改善されたこと
を強調する人が多かった。1980年代の前半のEC12箇国平均実質成長率は1%台
の半ばであったものが、EC統合が具体的に進みだした1985年以降は平均で3%弱
にまで実質成長率が加速された。一度カラーテレビを見てしまうと白黒テレビに戻れな
いのと同じく、「欧州統合」の流れが人々の経済生活の向上をもたらしている以上、後
戻りは難しい。
企業レベルでも欧州は一つとの認識の下に、極く日常的に統合欧州を前提とした戦略が
検討されているようだ。「イタリア企業は域内投資(M&A)に熱心だが、イタリアの
貧弱な公共サービスの制約のもとでビジネスをするよりは、国外に出てのびのびやった
ほうがよいと考えていることも一つの要因」(BCI、面談記録32頁)。個人レベル
でも同様のことが進んでいる。ブラッセルで訪問したEC委員会のお役人はフランス人
だったが、「今晩の夕食はパリに帰って食べるので、今日はこれで失礼する」と会談を
切り上げた。(ちなみに、その時、時間はすでに午後6時半であった。その時間からパ
リまで車で帰って夕食が食べられるほど、欧州は小さく一体化している。)
(いわゆるドイツ問題)
新しい強大なドイツの誕生を、欧州統合の将来にとっての不安定要因と捉える見方もあ
るが、ドイツでお話しを聞いたドイツのエコノミスト達の態度は総じて非常に慎み深い
ものだった(傲慢さが目立つ最近の日本のエコノミストとは相当違う)。要は、東欧問
題、ロシア問題までを考えると、いろんな意味で最も大きな影響を受けるのは地理的に
見てドイツとなることが明かである以上、またその影響もネガティブなものが予想され
る以上、ドイツは他の欧州諸国の政治的サポートを必要とし続けるということだと思う。
昨今、ユーゴ問題、EC実務レベル言語の問題などでドイツの独自行動(?)とジャパ
ン・バッシングにも似たドイツ・バッシングが目につくが(FT、1/20など)、過
去の負い目もあり、当分ドイツは自重を続けるのではないだろうか。また取りざたされ
ている独・仏関係であるが、独仏両国は日本で見ているよりはずっと友好的であるとの
印象を持った。ドイツ産業は今後引き続き欧州で抜きんでた存在であり続けることは間
違いのない事実であるが、それは欧州の利益に合致するシナリオに添ったものとなって
行く(ドイツの経済発展の成果を「欧州全体」が享受するという形に収斂して行く)と
思われるのである。
「大いなる失敗」で早くからソ連の崩壊を予言していたブレジンスキーは、いくら日本
が経済大国だといっても、米国が今後数十年にわたり超大国であり続けることは変わら
ない。超大国の条件は軍事力、政治的影響力、経済力、文化的魅力の四つが等しく必要
と言っているのは(日経1/23)、欧州の将来を考える際にも示唆的である。日米両
国の経済規模に占める日本経済の比重は約35%、一方、EC諸国の経済規模に占める
ドイツ経済の比重は大きくなったとはいえまだ約25%である。日本が米国を「牛耳る」
ことが難しいのと同じように、ドイツが欧州全体を「牛耳る」こともなかなか難しいの
ではないか。
欧州内部の個別の問題をとりあげ、EC統合の将来につき懐疑的な見方をすることは易
しい。しかし大きな流れとしては、欧州は確実に一つになりつつあるとの認識が重要で
はなかろうかと思う。その前提に立った前向きの企業戦略の立案(欧州の統合的運営)
が望まれる所以である。
(欧州の「要塞化」について)
欧州一体化への大きな流れに関連し、昔から懸念され続けている「要塞化」の問題につ
いて各識者の考えを聴いてみた。世界的に管理貿易の色彩が強まっているなかで、特に
産業保護政策が伝統的に強かった欧州大陸の国々の間では「利益の均衡」の主張がなさ
れている。自由貿易論がまだまだ健在であるとはいえ、産業競争力の格差を考えれば、
日欧通商関係も徐々に管理色を強めて行かざるをえないだろう。しかし、だからと言っ
て、欧州が要塞化し日欧間の貿易が大きく抑制されると考えることはないというのが一
般的な見方であった。EC統合が欧州経済の活性化をもたらす以上、日欧貿易も(幾ら
か管理色が強まるとはいえ)着実に伸び続けると見るのが自然であろう。欧州「要塞化」
は決して新しい懸念ではなく、昔から存在する。しかし「要塞化」云々言われ続けてき
た1980年代の日欧貿易を見ると、「要塞化」懸念とは裏腹に、日欧貿易金額は輸出、
輸入両方においてきわめて高い伸びを続けてきたことがわかる。
(注)80年代の日本の欧州(EC12箇国)向け輸出(ドルベース)の年平均伸率は
12.4%。一方対全世界輸出の平均伸率は8.2%、対米輸出の平均伸率は11.2
%。また欧州からの輸入年平均伸率は16.1%。一方対全世界輸入の平均伸率は5.
3%、対米輸入の平均伸率は7.9%。(通関統計)
貿易不均衡の問題をどのような形で是正するかであるが、基本的にまず拡大均衡を目指
した措置が検討されるだろうし、統合市場が欧州経済にプラス材料となる以上、日欧貿
易も(それほど否定的にみるのではなく)今後とも基調として堅調と見るのが自然であ
ろう。
要は、欧州の将来については、基本的に楽観的な見方に立って物事を考えておくほうが、
大局を見誤らないように思われるのである。(第2部で述べるが、欧州諸国の景気は総
じて、この1ー2年は減速局面を迎えることになる。これをどう見るかだが、基本的に
経済成長率とは望ましい経済成長率との関係で判断すべきものであり、中・長期的に欧
州の将来を楽観視する上記の見方とは矛盾しない。)
(2)ベースとしての「普遍性」、その中で複雑な「多様性」
二番目の印象だが、上記で述べたヨーロッパの一体化という大きな流れは、その中に数
多くの複雑な反流・伏流を包含しているということである。一見矛盾しているようで、
これが欧州問題の理解を難しくしている。ベースとしてのヨーロッパは一つであるもの
の、その中で個別性の概念が存在する訳で、ヨーロッパは「普遍」と「個別」の二つの
軸で構成されたマトリックスと捉えることも出来る。所詮、言葉が違い、文化が違い、
制度と歴史が違う国々なのである。
コール首相は「ヨーロッパは統合されても、ドイツはドイツであり、フランスはフラン
スであることには変わりない。個別の国家の上にヨーロッパという大きな傘をかけて、
全体で決定したほうがよい問題はこの傘の中でで決めていくのだ」と述べた由(ジェト
ロ・デュッセル、面談記録11頁)。これは Subsidiarity(補完性)の原則と呼ばれ
ているが、どの問題をどのレベルで決定するのか自体、決定はそれぞれ難しい。国益が
からむ、よってポリティックスが渦巻く。
さらに関係者が口をそろえて言うように、今後のヨーロッパでは国家の問題以上に「地
域」の問題が顕在化・先鋭化して行くと見られる。(ベルギー、イギリス、イタリア、
ドイツ、フランス等ほとんどの国でこの地域問題を実感した)。統合市場とは欧州規模
の苛烈な競争市場であり、勝者となる産業(地域)が出れば当然敗者となる産業(地域)
も出てくる。これに民族問題が絡み、地域問題は一層複雑化する。ヨーロッパ内部の南
北問題も存在する。
ヨーロッパは一つであるとの認識は基本的に正しいものの、それを一つとして捉え、運
営して行くためには、他の地域以上に綿密な情勢判断の為の調査・分析が要求されてい
ると言うことだと思われる。地元のヨーロッパ人ですらヨーロッパを一つとして運営す
るためには、EC委員会という巨大な官僚機構の存在を必要としているという事実は、
(EC機構は旧式の官僚機構であるとの批判は存在することは別にしても)当社の欧州
統括運営の形態を考える場合にも参考になるかもしれない。
(3)高まる日本への期待
三番目の印象だが、「日本」の捉え方についてのものである。日本は欧州経済・産業に
対する「脅威」であるというネガティブな捉え方がある一方で、技術、資本および市場
の提供者として日本への「期待」が欧州で高まっている。We can't afford not to be
interested in Japan (英国ビジネスマン). というコメントもある。世界で一番期待成
長率が高い太平洋地域を無視しての企業経営はありえないとの認識のもとに、日本に対
する「懸念」と「期待」が同時に高まってきているのである。
EC統合市場の実現により欧州企業は(欧州市場のことで頭がいっぱいで)域外のこと
への関心を失いつつあると言われたこともある。しかし話は逆で、太平洋地域への関心
は低下するものではなく、却って関心が高まっているというのが実情のようだ。すなわ
ち1993年からの統合市場への移行は、とりもなおさず欧州企業間での苛烈な競争の
始まりを意味するわけであり、「欧州内部での競争に勝ち抜く為にも」日本の企業と組
もう(日本の技術と資本を切り札として使おう)との戦略が注目されている(IRI、
面談記録36頁)。このままでは負けてしまう可能性が強いドイツ以外の国々の産業界
では特にこの考えが目立つ。そこで総合商社に対しては日本との関係強化のための懸け
橋の機能が期待されることになる。企業経営のグローバル化、ボーダレス化に伴い、こ
の懸け橋の役割も単なる特定商品の製造・販売に関する仲介にとどまらずコーポレート・
レベルでの提携の斡旋機能すら期待されるようになっている。EC委員会から「住友の
ような大企業はもっと欧州企業の日本進出に力を貸すべきだ」との発言があったが(面
談記録、17頁)、これも総合商社への期待の高まりと解釈できる。
第2部で述べるが、統合ブームが一段落した欧州経済は今後2ー3年は全般的に調整局
面に入ると考えられ、経済も過去のような高い成長率は期待できなくなっている。これ
は企業収益、雇用に悪影響を及ぼす。それゆえに、関係者の種々の努力にもかかわらず
日本との通商摩擦は当面、一層先鋭化することはあっても、解決に向かうとは考えにく
い。ネガティブな意味で日本がイッシューとなり続ける。逆に上記のようにポジティブ
な観点からの日本への関心(期待)も同時に高まるわけであり、此辺をうまく調整して
全体関係をマネージして行くという姿勢が望まれる。
(注)今後の欧州の対日政策を占ううえで、フランス政府の経済社会評議会が取り纒め
た「フランスおよび欧州の対日政策について」という報告書(仏語)が非常に参考にな
る。詳しくはフランス経済の部分で述べる。
経団連は1992年の対欧州関係での活動方針として「共生」というテーマを掲げてい
る。「各論」の提携関係を超える「総論」での関係作りと言ってもよいかも知れない。
(すべての通商摩擦は、「各論」で議論することでの問題と言える。当該産業で被害を
訴える声が高い場合でも、同じ国の中に探せば受益者層がいるのでマクロの総論で見て
みるといい形になっている場合が大部分である。)商社としても個別取引という「各論」
を超えて、「総論」で対客先アプローチが出来る体制が望まれているのではないだろう
か。
(企業、団体の中に日本担当の責任者を設置しているところが多いが、彼らは日本の政
治・経済・産業・文化につき驚くほどよく勉強しているし、知りたがっている。日本の
「系列」問題につき強い関心を示す人もいた。ジャポノロジーへのニーズの高まりと言
おうか、「日本学」は売れるとの印象をもった。すなわち、日本のカレント・イッシュー
をネタにすれば相当の人でも興味を示す、会ってくれるとの印象をもった。)
2.総合商社の対応について(上記の三つの印象に関連し)
この三つの印象をベースに、考えられる総合商社としての対応策について整理してみた
い。
最初の「ヨーロッパは一つ」との印象については、簡単であり、欧州の将来を基本的に
楽観的に捉え、積極的なビジネス展開を期すために欧州戦略を一元化して行くと言うこ
とである。既にその方向で当社での検討が開始されており、これは確実に正しい方向で
あるといえる。
二番目の「その中での複雑な多様性の存在」であるが、欧州戦略の一元化といっても、
この多様性を十分に認識したうえでの一元化が望まれるということであり、そのために
は欧州レベルでの経済/産業/社会動向の調査・分析機能の拡充が期待されるというこ
とだと思う。
最後の「日本および日本商社への期待の高まり」という点については総合商社のリエゾ
ン機能および提供機能の高度化が大切ということになる。
(欧州の経済・産業調査体制について)
二番目の点について具体的に言えば、まず経済・産業調査の為に調査スタッフを欧州に
常駐させ専門的・継続的に欧州ウォチングならびに調査業務での日本との連携プレーを
始めることが望まれる。次の段階として、この調査機能を拡充するべく、経済・産業に
関する契約研究・調査業、データーベース業、市場調査業、経営コンサルタント業(会
計事務所も含む)などの対事業所サービス業分野での既存の業者との関係強化、さらに
可能であればM&Aを通じて、そこに蓄積されている膨大なデーター、ノウハウ、人材
を当社に取り込み、当社の総合商社機能の「深化」を目指すことも検討する余地がある
と思われる。
欧州が「欧州連合」へと深化して行くなか、欧州の経済、産業もその構造を変えつつあ
り、その中で日本の総合商社の欧州ビジネスでの介入余地は日々に狭まりつつあると言
われているが本当にそうであろうか。今回いろんな人との話しの中で、総合商社の本来
の機能そのものであるとも言える情報分析・提供機能、特に商社の「海外」と「日本」
のリエゾンの役割に対するニーズは欧州では依然として高く、逆に今後このニーズはむ
しろ高まっていくのではないかとの印象を持った。実際のビジネスにおいて総合商社の
介入余地が狭まってきていることは事実であろうが、それを総合商社機能そのものに対
する否定として捉えるのではなく、むしろ在来型ではない新しい総合商社機能への期待
が高まってきていると前向きに捉えることも可能ではないかと思う。商社機能の「高度
化」を狙っての投資が望まれるのではないか。
さらに通常の外延作戦における事業投資を考えても、欧州における最近のM&A状況の
分析によれば、大部分の企業買収が友好的に、部分的な買収形態を前提に、シナージー
効果(本業への具体的な波及効果)を狙いながら取り進められているとのことである(
シュローダー)。ということは欧州において新規分野への事業展開を図る場合でも、既
存の顧客との良好な取引関係を前提に、その取引先と共同で事業展開を図るという形が
引き続き主流であり続けると思われる。釈迦に説法であることを承知で言えば、当社の
取引先との関係強化、深耕が事業投資戦略の基本であると思う。
ただ、企業規模がお互いに巨大化している昨今、商売上の関係は、ややもすると、客先
の特定部門と当社の特定部門とだけの友好関係となってしまう可能性がある。(例えば
先方の購買部門と当社の売り込み部隊の付き合いにとどまる可能性など。勿論トップ同
士の関係緊密化があるがトップもスーパーマンではない)。コーポレート・レベルでの
関係強化、深耕を目指すには、通常の商売上のコンタクトにとどまらない幅広いレベル
での友好関係の構築が望ましいことは言うまでもなく、上記で述べた当社の調査・分析・
情報サービス機能の強化は、当社の取引先でのカウンターパートである調査部門、企画
部門との関係強化・交流拡大にも結びつくことで、これは結果的に欧州企業との戦略的
提携、合弁事業展開という観点からも、なにがしかの貢献につながると考えられるので
ある。
(この意味で、今回、業界団体、銀行ばかりではなく、FIAT、IRI、ICIなど
の大きな取引先企業内の経済調査部門とのコンタクトが出来たが、こういう関係を広げ
て行くことが重要と考える。)
(補足:商社機能の高度化について)
上記の商社機能の高度化に関連し、若干の補足を試みたい。総合商社の機能は、時代と
共に、また業界毎に様々に異なっている。産業資本の発達が充分でなかった時代には総
合商社の金融機能が重視された。国際的な情報伝達が未熟であった時代には商社マンが
もってくるテレックス情報が評価された。在庫機能がうたわれたときもある。同じ時代
をとってみても、商品・業界毎に総合商社の提供する機能は決して同じものではない。
しかし本質的に変わらない機能があるように思われる。その総合商社の本質的な機能と
は、いわゆる長期的継続取引関係に関連したものであるように思われる。総合商社は「
長期的継続取引を、セットアップすること、及び出来上がった継続取引関係のメインテ
ナンスをすることで、仕入れ先と販売先双方に経済的メリットを提供し、その対価とし
て口銭を貰う」と考えることも可能である。そう考えれば総合商社の機能とは、基本的
には「商権」と呼ばれる「安定的、継続取引」の「アレンジ」と「メインテナンス」に
有り、その目的のために(業界、状況に応じて)いろいろな形態での個別機能を提供し
ていると考えうる。
一つの仮説であるが、これは営業担当者の実感にかなり近いのではなかろうかと思って
いる。それが総合商社の企業間、業種間の接着剤機能であり、それを「リエゾン機能」
と呼んでもよい。その仮説に立てば、なぜ総合商社が「系列」と密接な関係にあり、ま
た総合商社という企業形態が日本に独特のものであるのかについても説明することが出
来る(Ref : N. Hashimoto, Structure of Japanese Business - Japanese Business G
rouping and General Trading Companies - Oct 1, '91)。そうすると総合商社の戦略、
総合商社機能の高度化という点についても、あくまでも「取引関係の構築」を最終目的
としたものであることが大切であることがわかる。投資においてもシナージー効果が重
視される所以である。
このように考えて行くと、総合商社には商取引の当事者という性格よりは、アドバイザー
またはコンサルタントというべき性格がむしろ濃厚であるように思える(勿論例外はあ
る)。総合商社は将来的にある種の経営コンサルタント的な性格を強めて行くし、また
強めて行かなければならないという小職の持論につながってくる。欧州に関する上記の
提言も、大局的にみて、この商社機能の変遷の方向に添ったものであると判断する次第
である。
3.欧州の「中心」に関する所見
欧州は一つとの認識にたった企業戦略を進めるうえで、その戦略拠点は何処におくべき
かという点について所見を述べたい。
当社の場合、過去からずっとロンドンが当社の欧州戦略の拠点となってきた。それに対
して、欧州の政治的、文化的、経済的センターは大陸部分に移っており、島国イギリス
は歴史的に見ても非常に「異質」な存在である、ロンドンから欧州を見ていては、大勢
を見誤るとの意見が根強く存在する。現実にEC委員会など国際機関はもとより、大陸
に欧州本社を設置する日本企業も増えている。ロンドンが圧倒的に強い金融センターの
機能にしても徐々に大陸に移りつつあるようである。
このあたりをどう見るべきか、今回の出張で、各国で、いろんな企業の、多数の人に、
その見解を聴いてみた。その結果、次のような整理を付けることが出来たように思う。
(なお、この整理はあくまでも実務・活動を行なう場所として考えたもので、税制面な
どの制度面から何処に会社を登記するのが有利かという点は考慮していない。)
まず、「中心」と言っても、どのような意味においての「中心」かという問題がある。
これ次第で話が変わってくるので、センターの性格を列挙してみる。即ち:1)政治の
中心地、2)行政の中心地、3)産業の中心地、4)金融の中心地、5)情報が集まる
中心地、6)文化の中心地、8)人的資源の中心地、等などが考えられる。次に、現実
にそれぞれの機能毎に欧州内部のどの場所がセンターであるのかを考えてみる。
1)まず、政治・行政の中心地:これは文句なくEC委員会がある「ブラッセル」であ
ろう。欧州企業もブラッセル重視の戦略を立てるところが増えている(ドイツ機械輸出
連盟など)。法律事務所も大挙してロンドンからブラッセルに移ってきている(住銀ブ
ラッセルの話し)。
2)次に、政治は政治でもポリティックスという観点で考えてみると、これは理屈では
ブラッセルかも知れないが、現実には「各国政府」であるように思える。欧州はどのよ
うな力関係にあるかを素直に考えれば、ポリティックスの中心はやはり、英国と、フラ
ンスとドイツの三箇国であろう。さすれば「ロンドン」、「パリ」、「ボン」(ベルリ
ン)と言うことになる。
3)産業の中心地ということになると、各国にそれぞれ産業は存在するが、一番有力な
産業センターは「デュセルドルフ」などのドイツの都市であろう(若干分散している嫌
いはあるが)。
4)金融の中心地となると、フランクフルトへ金融機能が徐々に移りつつあるとか、先
物取引はすでにパリの取引額がロンドンを上回ったことなどが言われるが、当分は、ま
た見通し可能な範囲では将来的にも「ロンドン」が中心であることには、ほとんどの人
は異論がない。
5)情報が集まる中心地となると、特に銀行関係者が口をそろえていっていることであ
るが、情報が発生する場所ではなく、情報が集まってくる場所として考えると「ロンド
ン」の地位が高いようだ。特に分析され、整理された情報と言うことになると、やはり
ジ・エコノミスト、チャタムハウス、フィナンシャル・タイムズなどの情報分析機能が
集中しているロンドンということになる。これはシティーという巨大な情報をお金で買
うバイヤーの存在が大きい。バイヤーがいるところに商品(この場合情報)が集まって
くる訳である。しかも、日本企業の場合、そのまま東京に発信できる英語の形で情報が
存在することが大きい(フランスにも結構、データー・文献情報が存在するが、言葉の
問題があり、そのまま東京に送れない)。もっともロンドンの情報はすでに整理されて
いることから、生の情報ということになるとやや問題があるとの意見もある。
6)文化・人的資源:何処が文化の中心かとなると、これは価値観の問題でもあり、決
着はつきそうにない。そこで文化をつくるのは人間であることから、人口が多い都市は
文化も高いと大胆に仮定すると(人間が集まってくるというのは、それだけその都市に
求心力があるということであり、人口は意味のある指標である)、そうすると「ロンド
ン」と「パリ」になる。
以上の得点を単純に合計する。ドイツは全部一つとして勘定しても、やはりロンドンの
得点数が高いことがわかる。(ロンドン:4点、パリ:2点、ドイツ:2点、ブラッセ
ル:1点)
しかし、現実には、このような単純な、足し算ではなく、どの機能にどれだけの加重を
付けるかとの判断(どの機能を重視するかとの判断)が重要になってくることは言うま
でもない。産業が何処に集中しているかという点には(総合商社は産業で成り立ってい
る以上)、もっとウェイトを付ける必要が出てこよう。現時点の評価より、将来の方向
といった点にも考慮する必要がある。
また、機能毎にセンターが異なる以上、平均点でどこが「欧州の中心」であるかといっ
た問題は、結局は回答が出ない問題であり、「欧州とは複数のセンターが存在する地域
である」と考えるべきであるのかも知れない。
その意味で参考になる意見であるが、著名な未来学者アルビン・トフラー氏のコメント
がある。同氏は、ECの中央集権的官僚組織を批判して、「これは”煙突時代”の旧式
な発想であり、本来ならば中央集権的な官僚組織などではなくネットワーク型の組織を
つくるべきである」と述べている(日経新聞、1/20/92)。たしかに一つの「セ
ンター」をきめてそこから何から何まで「指令」を発するという発想は時代遅れとなり
つつあるのかも知れない。企業の経営に当たっても、複雑な個別の事情を勘案しながら、
フロントの主体性を発揮して行くためにも、柔軟な「ネットワーク型」の組織運営を前
提にした「本社」の在り方が望ましいとも考えられる。ネットワーク型組織と言えば、
その部は中枢部は「神経組織」である。神経組織と言えば、「情報」である。
ネットワーク型企業経営における本社機能は、「情報」および「コーディネーション」
を媒介とした本社運営であり、その所在地に重要視される機能はやはりふんだんに存在
する「情報」であろう。情報が集まるのは何と言ってもロンドンであることは先に述べ
た。現状では、統括会社の本社の所在地はやはり現在の「ロンドン」が望ましいという
ことになる。ロンドン情報のバイアス性の問題であるが、基本的にすべての情報にはバ
イアス性の問題があるわけで、これは足でカバーする以外ない。
登録:
投稿 (Atom)